中谷松鳳プロフィール

  • 1955年 宮城県石巻市にて生まれる(硯の産地雄勝町)6人姉妹の4女
  • 1974年 北海道教育大学函館分校入学
  • 1978年 北のはずれ、礼文島にて教員スタート(4年間)~後に閉校
  • 1982年(桧山)熊石にて6年間~後に閉校
  • 1988年(後志)黒松内にて8年間~後に閉校
  • 1996年(後志)仁木にて9年間
  • 2005年(後志)小樽3校11年間~3校とも閉校
  • 2017年  1年のみ再任用(閉校した3校が集まった統合校)書道教室華、
    書道研究華鳳文社石野華鳳先生の指導のもと書道にまい進

※教員時代子どもたちが書いた作文など~見たこと聞いたこと、自分の心に残ったこと、体験したことなどを綴り、文集にし、学級通信に載せて読み合いすることによって互いを知り合い、時には共感し、学び合いを進めてきました。


《書道受賞歴》

  • 2018年 35回読売書法展~入選
  • 2019年 36回読売書法展~秀逸
  • 2020年 書道始めて3年で師範取得
  • 2020年 82回謙慎書道展~特選 
  • 2021年 83回謙慎書道展~特選
  • 2021年 37回読売書法展~秀逸
  • 2022年 84回謙慎書道展~特選

自然に囲まれた中で生まれ、育ちました。両親は山や畑の仕事で忙しく、そして時期になるとわかめ、昆布、うに、鮑を採る漁村の影響を受けて育ちました。

仏様や神様を信仰する家系にあってお正月、お盆は一大行事、小さい時からそれは、大事にするようにと育てられた記憶が大きく掃除や仕事などその年齢に合う仕事が用意されていました。

交通の便が悪く、教育、文化的にも恵まれている環境ではなかったかと思います。

新学期、担任のいない学級があったとき、こういう辺鄙なところだから先生が希望しないのか、それなら私が先生になろう、て思いました。

 

また、担任の先生や姉の影響もあり、小学校より先生になろうと目標を定めたと記憶しています。


高校以降、親元を離れての生活となり、高校は姉との自炊生活。

進路を決めるとき、同級生は、東京など南に、私一人だけ北海道を希望し、担任曰く「みんな南に行くのに、何で北なのか。」

と問われたことが記憶に残っています。

それは、北海道の自然にあこがれはあったことは確かですが、故郷のような辺鄙なところで先生の希望も少ないところで教員をしなければという気持ちが奥底にあったのだと思います。 

大学生活はそれは貧しかったですが、それなりに自由に、また友達ができ、気持ちの通い合う友達と自由に青春を謳歌できたように思います。

名物教育心理専門の先生の講義から、子どもの見方、先生と生徒の在り方などとても心に残る先生もいらっしゃった。それは後々とても活かされることとなります。

専門が理科の化学で、4年生になり卒業論文は先輩の専門を引き継いで公害について、特に水の公害でした。

いかを使っての酵素の研究の教授が担当で、なかなか指導しにくい分野のようで難儀しました。

その経験が私の深層心理に残っていて、今は指導することでは半面教師として、特に、寄り添った指導の大切さを教えてくれていると思います。

僻地研究会に所属して、函館近辺の小さな学校を見学し、学ばせていただくこともできました。


小学校勤務の最初は、北のはずれ、礼文島は衝撃的ではありましたが、様々な地域、しかも僻地が多く都会から離れた文化的にも恵まれてなかった所が多かったように思います。

どこにあっても作文指導や文化的なこと、とくに学芸会などには全力を注いで生き生きとできた時も、残念なこともたくさん経験したように思います。

また地域によって特色が違い、経験不足や戸惑うことや多大な協力をいただいたこと、対応しきれず子どもたちや保護者の方にご迷惑をおかけしたことも数々です。

それらがすべて経験となり、たくさんの子どもや地域、保護者の方に育てられ、磨かれていったのだと感謝しかありません。

 そうして、2017年の春、退職を機会に今に至り、「書道教室華」石野華鳳先生の指導のもと、書道にまい進しているところです。