自然に囲まれた中で生まれ、育ちました。両親は山や畑の仕事で忙しく、そして時期になるとわかめ、昆布、うに、鮑を採る漁村の影響を受けて育ちました。
交通の便が悪く、教育、文化的にも恵まれている環境ではなかったかと思います。
新学期、担任のいない学級があった時、こういう辺鄙なところだから先生が希望しないのか、それなら私が先生になろう、て思いました。
また、担任の先生や姉の影響もあり、小学性の頃より先生になろうと目標を定めたと記憶しています。
高校3年、進路を決定の時、同級生は、東京など南に、私一人だけ北海道を希望し、担任曰く「みんな南に行くのに、何で北なのか。」
と問われたことが記憶に残っています。
それは、北海道の自然にあこがれはあったことは確かですが、故郷のような辺鄙なところで先生の希望も少ないところで教員をしなければという気持ちが奥底にあったのだと思います。
大学生活はそれは貧しかったですが、それなりに自由に、また友達ができ、気持ちの通い合う友達と自由に青春を謳歌できたように思います。
僻地研究会に所属して、函館近辺の小さな学校を見学し、学ばせていただくこともできました。
小学校勤務の最初は、北のはずれ、礼文島は衝撃的ではありましたが、様々な地域、しかも僻地が多く都会から離れた文化的にも恵まれてなかった所が多かったように思います。
どこにあっても作文指導や文化的なこと、とくに学芸会などには全力を注いで生き生きとできた時も、残念なこともたくさん経験したように思います。子どもたちが書いた作文など~見たこと聞いたこと、自分の心に残ったこと、体験したことなどを綴り、文集にし、学級通信に載せて読み合いすることによって互いを知り合い、時には共感し、学び合いを進めてきました。
また地域によって特色が違い、経験不足や戸惑うことや多大な協力をいただいたこと、対応しきれず子どもたちや保護者の方にご迷惑をおかけしたことも数々です。
それらがすべて経験となり、たくさんの子どもや地域、保護者の方に育てられ、磨かれていったのだと感謝しかありません。
そうして、2017年の春、退職を機会に書道に邁進し、2022年4月1日、書道教室を開講。